義理人情がいらなくなるとき

この前、ふと思ったのですが
これから先
義理も人情も
なくなるんじゃないかなぁ
生活においても
ビジネスにおいても
義理も人情もない
というと
=血も涙もない

とられる場合もありますけど
そうじゃなくて
誰かにしてもらったから
これを返さなければならない
親戚だから
親だから
前回おまけしてもらったから、
この店で買う
紹介してもらったから
紹介する
~しなければならない
とか
苦しくないですか?
私は苦しいです
結局
この義理、人情って
突き詰めていくとこれも嘘なのかも
人にしてもらったら
ありがとう
心からの感謝
でいいかと思います
魂はワンネス
みんなつながってるし
経済も
みんなつながっているんです
誰かにしてもらったから
それをその人に返さなければ
ならないわけではなく
誰に返したっていいじゃないですか
見返りを期待しての
親切や値引きであれば
それは
愛ではないと思います
愛は無償のもの
愛は愛を生みそして増えていきます
そうしてGDPも増えていくでしょう
経済もシンプルかつ合理的に
本当に良いものだけが残る時代になるでしょう
すべては愛をもとに

2 thoughts on “義理人情がいらなくなるとき

  1. SECRET: 0
    PASS:
    はじめまして!
    宜しくお願いします!
    血も涙もないのとは違うということも含め、共感出来ました。
    私自身、お世話になったからということで、本当は嫌なのに、離れたいけどそう思う自分に罪悪感を抱いていることがありました。
    そして、私に何かしてもったからというだけで、同じように負担に思っている人がいたら、それも嫌だなと思っています。
    見返りを求めたりしないこと、何か返さなければと負担に思わないこと。
    そんな思いから離れるだけで、とても楽になれるのだと思いました。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    >駒子さん
    はじめまして
    コメントありがとうございます(^^)
    罪悪感とか自責ほど
    体に悪いものはないなぁ
    と思うんです。
    いろいろ言う人はいるけど
    まずは自分が相手に見返りを求めないことから始められるかなって思ってます(^^;

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