木との会話 その③

職場前のプラタナスとの会話

といってもいつでも話せるというわけでもなく

忘れたころに時々ふと聞こえる声ではない声。

植物っていうのは、森に生えているのが一番幸せなんだろうに

こうして、アスファルトに囲まれて一生そこですごす

あなたの人生(樹生?)はどうなんだい?

ジャングルを人間が切り開いて

家を建てたり、畑を作ったり

そういうのは植物はどう思ってるんだろう

怒り悲しみ、憎しみ?

と朝、駐車場の掃除をしながら

ぼんやりと考えていたら

「植物は人間と共存したいと思っている。

人間のためになりたいと思っている

植物は人間のそばにいるのを嬉しく思っている

例え森でなく、都市部にいようともそれはそれで幸せで、

憎しみや悲しみはない」

と言われました。

植物そのものが「愛」の存在なのですね

(卑しい植物を除く)

木との会話 その②

職場前のそのプラタナスとは

私が話したいときに話せるというわけでもなく

時々気が向いたときに声をかけてるらしく

その日も、朝、駐車場の掃除をしていたら

インターロッキングの隙間に雑草が生えていて

「なんか、植物好き、とか言ってるのに、

こうして一生懸命生えてる草引っこ抜いてるんじゃぁ

しょうがないよなぁ」

とか思いつつ

しかし草ボーボーの駐車場というのも見栄えが悪いし

抜こうかなぁ

抜かないかなぁ

と迷っていたら

「その草は、『卑しい』草だから、抜いて構わぬ」

と言われました。(プラタナスに)

植物に尊いも卑しいもあるんかい!

と思いつつ

まぁいいって言ってるんだからいいんだろうと思い

雑草を引っこ抜きました

その後、バッチ博士の本を読んでいたら

なんと

「植物には尊いものと卑しいものがある」

と書いてあってびっくり!!!

毒草など、人や動物に害を与えるものは卑しく

木や花など、人や動物に癒しを与えるものは尊いと。

(手元に本がなく引用できなくてすみません)

「おおお!これだー!」

と驚きました。

つづく・・・

木との会話 その①

職場の前にある

プラタナスの木

かれこれ10年くらいのお付き合いになります。

とくにこれといって変わったところもなく

普通の木なのですが

ある秋の日

大量の枯れ葉を、毎日片づけていたら

「手間をかけてすまないねぇ」

「いいえ、こちらもお世話になることがあるかもしれないし」

「…」

「!」

「!!!」

今、私誰と話した?!

木だよねこの木!

そうですか

木って意識をもっているんですね。

つづく・・・